リッケイのゆるい考え

なんちゃって哲学

現実はユメなんじゃないか。

「夢の世界がホントの現実で、
この現実が夢かもしれない」
と考えたことはありませんか?

ぼくは目を覚ますと、一瞬だけ、現実と夢の境界がよく分からなくなります。

おかしな夢を見たときには、世界の根本に触れたように感じます。

もしも、この現実が夢だとしたら。
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そういう妄想はしたことないですか?
奇妙な感覚に浸ってワクワクしませんか?

夢の中のように自由に振舞ってみたり、やりたいことをやってみたり、好きなように行動できる世界は素晴らしそうですね。

 

ぼくは、空を飛ぶ夢を見たいとずっと思っています笑

けれども、現実と夢との違いって何なのでしょうか。

それは、夢の中の世界では、制約がありません。現実世界では物理的にできないことでも、夢の世界ならできることがいっぱいあります。

見たことのない景色やワクワクすること、未知で恐怖を感じることなど、非日常体験があります。

夢は現実を忘れさせてくれる奇妙なもの、だと思います。

また、こんな考え方もあります。

いま生きている現実がユメで、死んでから行く「あの世」が現実なのかもしれない。

死ぬことは目がさめることと同じではありませんか。

生きている間に苦労して得たお金、名誉、友達なんてものは、死んでしまったらどうやっても自分の手元には残りません。

死んだら自分でさえ無くなってしまうからです。

ここまで考えると、現実に生きていようが、夢の中に生きていようが関係がないように思えてきます。

いま目の前の世界で、一生懸命に生きていくことが一番大事なのではないでしょうか。

辛い時には
「いま生きている現実は、実は夢なのかもしれない。そんなに気張らずに、好きなように生きたらいいや」
と思えたら素敵ではありませんか。

死んだ後で、この現実が夢だと分かるのもまた面白いとおもいます。

では、また!

「幸せの量=不幸の量」説

まだ小学生の頃に、幸せの量はプラスとマイナスでゼロになるんじゃないか、と思っていました。

 

そのきっかけはこち亀のキャラクター無加月さんです。彼は、まさに「幸せの量=不幸の量」で生きていたからです。

 

一生分の不幸を背負い込みますが、ある日を境に急激にラッキーが連続するのです。

 

これを小学生の頃に読み、やけに納得していました。

 

「苦労しただけ幸せが訪れるものなんだ」と強く思い込み、いろんな人にこの説を話しました。しかし、多くの大人たちはこの説を受け入れてくれませんでした。

 

大学生になってもこの説を信じてたのですが、ある転機により考え方が変わりました。

 

同じ説をもった後輩に出逢ったのです。

 

彼もこの説を妄信的に信じており、不幸になる状況を積極的に受け入れてました。

 

冷静に彼を見ていると、彼は一生不幸を取り込み続けるようでした。

それで彼は満足かもしれませんが、ぼくはそんな未来は嫌だと思えました。

 

自分の考えの客観視ができたのです。

 

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さて、ここから本題ですが、「幸せの量=不幸の量」とは本当なのでしょうか。

 

そもそも幸せってなんでしょうか?

 

ある例え話を紹介します。

 

コイントスの様に、

幸せが起きる確率50%

不幸せが起きる確率50%

としましょう。

 

99回連続で「幸せ」が出て、次の100回目に「幸せ」が出る確率は

50%

なんです。

 

いくら不幸を受け入れていても、関係なく、幸せが訪れるのともあるのです。

 

ずっと幸せが続いても、さらに幸せが続くこともあるのです。

 

そもそも幸せと不幸せの違いはなんでしょうか?

起きる出来事は同じでも、それをどう読み取るかによって変わると思います。

 

病気になっても

「まだ死ぬわけじゃないさ」

と思えるのか

「病気になってしまうなんて自分は不幸だ」

と思うのか。

 

懸賞の3等賞があたったときに

「懸賞があたるなんてラッキーだ」

と考えられるのか

「ただの3等賞しかあたらなかった」

と考えるのか。

 

この違いってなんだか、分かりますか?

 

幸せなを感じられる人たちは、意識的にポジティブな面を見出しているのです。

 

不幸な人たちは、受け身に物事を捉えて、自分の考えを変えようとせず、ただ周りの環境に依存しているのです。

 

 

苦労した人が幸せになれる、というのは

苦労したからこそ幸せになろうとする力を手に入れている人たちのことなのです。

 

幸せ、という絶対的なものは存在しないのかもしれません。

 

自分の定義によって幸せが決まるのかもしれません。

 

どんな状況でも、「これはラッキーだ」と考えられる人が1番幸せに近い人なのかもしれませんね。

 

あなたの幸せの定義とはなんですか?

 

ぼくは幸せをこう定義します。

「どんな状況でもこの世に生を受け、今も生き続けられたこと、これを幸せを言わずなんというのか」

 

自分が生まれただけでラッキー。

さらにこれまで生き続けられたことも超ラッキー。

 

さらなる高望みは自分を不幸にするだけです。

 

現状に満足する力、未来をポジティブに見通せる力さえあれば、人間は幸せになれるのです。

 

結論として、「幸せの量=不幸の量」は間違っています。

 

では、また!

就活って何だったんだろ?

僕はいま就活生です。

この時期、就活の終わりが見えてきました。

時間と余裕を取れるようになったので、自分の考えをまとめますね。

 

就活を一生懸命にやってきましたが、

「いったい何のためにやっているんだろう…?」

と思うことがたくさんありました。

 

そんな僕の疑問と考えを、僕の視点から紹介していきます。

働くことはどんなことなんでしょうか。

 

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<なんで就活するのか>

僕は始める前から、就活に対して全く乗り気になれていませんでした。

 

「一般的に優良企業と呼ばれる企業から、いかに早く内定をゲットできるか」

というゲームにしか見えていなかったからです。

 

就活を経験した先輩や友人の話を聞くと、

 

「就活はみんながやるからね~」

「お金稼ぎたいから働く」

「どうせ働かなくちゃいけないんだからなあ」

 

など、前向きな気持ちで就活している人があまりに少なかったです。

 

僕も前向きな気持ちを持てず、周囲の人たちと同じように就活を始めるようになりました。

 

進めていくうちに、就活の構造に疑問を持つようになりました。

 

「こんなめんどくさい手順で、学生も企業も就活・採用をしているのはなぜだろう?」

 

 

<なぜ人は仕事を求めるのか>

そもそも仕事とは何でしょうか?

 

働いて出す価値を、誰かが買ってくれて、お金をもらうことでしょうか。

 

お金をもらうために、働くのでしょうか。

または、自分のやりたい仕事に就いて、やりたいことをやるために働くのでしょうか。

 

あるいは、「○○会社で働いています」と言うために働くのでしょうか。

 

もしも、生活できるだけのお金を持っていて、やりたいことが仕事以外でやれて、肩書を欲しがらなければ、働こうとは思わないんでしょうか、働かなくてもいいんでしょうか。

  

 自分がやりたいことって何だろう、と考えることが、働く理由になると思います。

 

これからも、なぜ働くのかを考え続けていきたいと思います。

 

では、また!

ぼく以外みんなロボット説

小学生のころ「ぼく以外はみんなロボットなんじゃないか」と真剣に思っていました。

 

このロボット世界を神様が設定して、実験動物としてのぼくを観察しているんだと考えていました。

 

ココロを持って生きているのはぼくだけ、という妄想にふけっていました。

 

哲学用語では、独我論(ソリプシズム)と呼ぶそうです。

 

この問題には、昔から哲学者が挑んできましたが、まだ明確な答えは出ていないそうです。

 

他人のココロがもしかしたらプログラムによって動いているだけで、実はロボットなのかもしれません。

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人間関係に悩んでいるときにこの問題を思い出すと、フッと心が軽くなります。

 

「なーんだ、ロボットだらけの世界で悩んだってしょうがない。ココロを持っているのは自分だけなのだから、悩まず素直に生きたらいいんだ」

 

とぼくは感じます。

 

 

しかし本当にロボットなのは他人だけなのでしょうか。

自分のココロがほんとうに存在しているのか疑わしく思えてきます。

 

自分が考えることも実はプログラムされていて、自分もロボットの1人なのかもしれません。

 

入力に対して出力する。

例えば、物が飛んできたら避ける、質問されたら考えて答える。

 

このプロセスの中に、本当に自分のココロが存在するのでしょうか。自分の存在とは、なんだんだ。

 

ぼくが人間として生きている証明なんて、絶対にできないと思います。デカルトの「我思うゆえに我あり」さえも疑わしく思えてくるのです。

 

みなさんは、どう考えますか。

他人はロボットじゃない、自分はロボットじゃない、と言い切れますか?

 

この考えに新たな発見があったら、またブログにも書いてみようと思います!

 

では、また!

100年後には、みんな死ぬから自由に生きよう

100年後には、みんな死んでいます。

 

あなたを知ってる人、あなたが知ってる人、もちろんあなたも、消えてしまうのです。

 

100年後には、また新しい人たちが生きていくのです。

これまでの歴史はそうして繋がってきました。

 

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この事実を悲観的に捉える必要は全くありません。

 

人の目を気にして小さくまとまって生きるのは、なんだかもったいないと思いませんか。

 

せっかく生まれてきたなら、自分のやりたいことを好きにやって死んでいくことが、よっぽど面白そうではありませんか。

 

やりたいことやって失敗しても良いじゃないですか。

恥ずかしい目にあっても、人に笑われたって良いじゃないですか。

 

あなたの人生を生きているのは、あなただけなのです。

誰からも奪われることはありません。

 

好きなように生きて、いっぱい失敗もして、最後にはやりきれた達成感をもてたら素晴らしいではありませんか。

 

「自分の顔を気にしているのは、自分だけだ」

 

昔からのことわざにもこう言われるように、周りの人よりも自分の方が、よっぽど自分のことを気にし過ぎています。

 

大丈夫です。

自分のことを知る人なんて、100年後にはみんな死んでます。気にしないでいいです。

 

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こんな考えで生きるほど、人生はシンプルではないかもしれません。

 

ただ毎日のルーティンに慣れてしまうと、あまりに自分の欲をなおざりにしまいます。

 

もう一度、やりたいことを考え直してみるのも面白いと思います。

 

自分のやりたかったことはなんだろう、を考えるとワクワクしますよ。

 

ニーチェの言葉を以下に書いておきます。

「死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう」

 

では、また!

 

(追記)

「自分は人からどう思われてるんだろう」という意識を社会的自己意識と呼ぶそうです。

EQ診断というもので測れるものみたいです。
気になる方は調べてみてください。

就活エリートってだれ?

ポンポン内定を取れる人が就活エリートなのでしょうか。

まったく内定が取れてない人はダメなのでしょうか。

 

就活で優秀なのは、意中の企業に入れる人ではありません。

入った会社で結果を残せる人です!

 

会社員として働く以上、会社に利益をもたらすことが最優先行動です。

 

 

就活を進めると、大企業や有名企業に入ることが正義であるかのように錯覚します。

 

しかし、実はその正義は間違っていて、自分の身の丈に合わない企業へ入ったところで不幸な結果になるだけ。

 

自分がやれること、やりたいこと、そして結果を残せるような企業に入社することが1番大事です。

 

これは就活だけじゃなくて日常生活にも役に立つ考え方だと思います。

 

自分には不相応なブランド物をもつこと、立派すぎる家や車を買うことなどがそれにあたります。

 

イメージで買うよりも、自分に合っているか、実用的であるかを最優先で考えるべきなのです。

 

では、また!

ポジティブにならなくていい!

あなたはポジティブ思考ですか?ネガティブ思考ですか?

 

ポジティブとネガティブってなんでしょう。

 

ポジティブ思考が良くて、ネガティブ思考が悪いのでしょうか?

 

ポジティブと聞いて想像するのは、いつも明るく元気な人という印象です。

 

いつも前向きで周りを明るくさせる雰囲気を持っています。一方で、願望のバイアスが入り込み、現状が見えにくいことや、人の気持ちをおろそかにしがちです。 

 

ネガティブは、暗くウジウジしているイメージがあります。

 

孤立していて周りと上手に協調できずに、ストレスを抱え込みやすいです。その一方、何事にも慎重に考えられ、人の繊細な気持ちに気づきやすい傾向があります。

 

ポジティブとネガティブ、この2つは対立し合うものではなく、どちらも存在し引き立てあう共存関係ではないでしょうか。

 

その共存関係を表した言葉がこれです。

 「悲観的に準備し楽観的に対処せよ」

この言葉がぼくはとっても好きです。

 

自分の中にあるポジとネガを上手に生かす方法があるのです。

どちらか良いとかの話ではなく、2つとも否定されるものではありません。調和させて併せ持てることが大事なのです。 

 

この記事のはじめにみなさんに質問した

「ポジティブ思考か?ネガティブ思考か?」

なんて無意味なんです。

 

ポジティブは"目指してなるもの"ではなく、"結果的になっているもの"なんですから。

無理にポジティブ思考をしても、いいことはありません。自然体でいいのです。

 

ネガティブな人は、

「ちょっと考え方をポジティブ寄りにしてみようかな」

ぐらいの気持ちで充分です。

 

いまの自分の持ち味を活かして伸ばしていくことが、よっぽど大事なことなんです。

 

オールマイティに何でもできるよりも、あなたがイキイキと活かせる持ち味方が価値が高いのです。

 

そうして、持ち味を発展させられれば、自分の欠点なんて気にもならなくなります。

 

欠点なんて直そうとするよりも、勝手に直っているものです。

 

では、また!