100年後には、みんな死ぬから自由に生きよう
100年後には、みんな死んでいます。
あなたを知ってる人、あなたが知ってる人、もちろんあなたも、消えてしまうのです。
100年後には、また新しい人たちが生きていくのです。
これまでの歴史はそうして繋がってきました。
-------------------------
この事実を悲観的に捉える必要は全くありません。
人の目を気にして小さくまとまって生きるのは、なんだかもったいないと思いませんか。
せっかく生まれてきたなら、自分のやりたいことを好きにやって死んでいくことが、よっぽど面白そうではありませんか。
やりたいことやって失敗しても良いじゃないですか。
恥ずかしい目にあっても、人に笑われたって良いじゃないですか。
あなたの人生を生きているのは、あなただけなのです。
誰からも奪われることはありません。
好きなように生きて、いっぱい失敗もして、最後にはやりきれた達成感をもてたら素晴らしいではありませんか。
「自分の顔を気にしているのは、自分だけだ」
昔からのことわざにもこう言われるように、周りの人よりも自分の方が、よっぽど自分のことを気にし過ぎています。
大丈夫です。
自分のことを知る人なんて、100年後にはみんな死んでます。気にしないでいいです。
-------------------------
こんな考えで生きるほど、人生はシンプルではないかもしれません。
ただ毎日のルーティンに慣れてしまうと、あまりに自分の欲をなおざりにしまいます。
もう一度、やりたいことを考え直してみるのも面白いと思います。
自分のやりたかったことはなんだろう、を考えるとワクワクしますよ。
ニーチェの言葉を以下に書いておきます。
「死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう」
では、また!
(追記)
「自分は人からどう思われてるんだろう」という意識を社会的自己意識と呼ぶそうです。
EQ診断というもので測れるものみたいです。
気になる方は調べてみてください。
就活エリートってだれ?
ポンポン内定を取れる人が就活エリートなのでしょうか。
まったく内定が取れてない人はダメなのでしょうか。
就活で優秀なのは、意中の企業に入れる人ではありません。
入った会社で結果を残せる人です!
会社員として働く以上、会社に利益をもたらすことが最優先行動です。
就活を進めると、大企業や有名企業に入ることが正義であるかのように錯覚します。
しかし、実はその正義は間違っていて、自分の身の丈に合わない企業へ入ったところで不幸な結果になるだけ。
自分がやれること、やりたいこと、そして結果を残せるような企業に入社することが1番大事です。
これは就活だけじゃなくて日常生活にも役に立つ考え方だと思います。
自分には不相応なブランド物をもつこと、立派すぎる家や車を買うことなどがそれにあたります。
イメージで買うよりも、自分に合っているか、実用的であるかを最優先で考えるべきなのです。
では、また!
ポジティブにならなくていい!
あなたはポジティブ思考ですか?ネガティブ思考ですか?
ポジティブとネガティブってなんでしょう。
ポジティブ思考が良くて、ネガティブ思考が悪いのでしょうか?
ポジティブと聞いて想像するのは、いつも明るく元気な人という印象です。
いつも前向きで周りを明るくさせる雰囲気を持っています。一方で、願望のバイアスが入り込み、現状が見えにくいことや、人の気持ちをおろそかにしがちです。
ネガティブは、暗くウジウジしているイメージがあります。
孤立していて周りと上手に協調できずに、ストレスを抱え込みやすいです。その一方、何事にも慎重に考えられ、人の繊細な気持ちに気づきやすい傾向があります。
ポジティブとネガティブ、この2つは対立し合うものではなく、どちらも存在し引き立てあう共存関係ではないでしょうか。
その共存関係を表した言葉がこれです。
「悲観的に準備し楽観的に対処せよ」
この言葉がぼくはとっても好きです。
自分の中にあるポジとネガを上手に生かす方法があるのです。
どちらか良いとかの話ではなく、2つとも否定されるものではありません。調和させて併せ持てることが大事なのです。
この記事のはじめにみなさんに質問した
「ポジティブ思考か?ネガティブ思考か?」
なんて無意味なんです。
ポジティブは"目指してなるもの"ではなく、"結果的になっているもの"なんですから。
無理にポジティブ思考をしても、いいことはありません。自然体でいいのです。
ネガティブな人は、
「ちょっと考え方をポジティブ寄りにしてみようかな」
ぐらいの気持ちで充分です。
いまの自分の持ち味を活かして伸ばしていくことが、よっぽど大事なことなんです。
オールマイティに何でもできるよりも、あなたがイキイキと活かせる持ち味方が価値が高いのです。
そうして、持ち味を発展させられれば、自分の欠点なんて気にもならなくなります。
欠点なんて直そうとするよりも、勝手に直っているものです。
では、また!
「誰もやらないから俺がやる」をやめよう
仕事をするとき、「誰もやらないから俺がやる」というモチベーションになっていませんか。
これは社会人、学生どちらにも当てはまることです。仕事、部活などの組織で活動するとき、誰もやらない仕事は発生してくるものです。
この状況はどこにでもありうることです。大事なことは、そんな状況や人のことを恨まないことです。
むしろ「誰もやらない仕事を、やれる自分」に価値を置くべきです。
なぜ誰もやろうとしないのか、そもそも仕事の存在に気づいていないのか、など考えるチャンスです。
また他の人がそんな状況にあるときには関心を寄せることが必要です。
この問題から発生する「なんで俺だけがこんなことをやらなくてはいけないのか」という孤立感と押し付けられ感を減らすことが大切です。
これは第三者からの関心、「大丈夫そうですか、手伝いますよ」との声かけで解消できます。
自分から他の仕事や人にどんどん関心を持ち、「誰もやらない仕事を誰かがやってその人が苦しむ」ことを減らしましょう。
人間は機械じゃなくて、感情をもった人間なんです。
では、また!
100点以上の生き方 その2
前のエントリで「100点以上の生き方 その1」
を書きました。これはその続きです。
自分への自己評価を、加点式にすることをオススメしました。
どんな行為にでもプラスの点数をつけてあげることが大切です。決してマイナス点をつけないことです。
注意点として、理想と比べないことです。
理想に向かって努力することも大切ですが、理想を強く意識するとどうしても現状に満足できません。
理想はただの参考程度にしましょう。
理想から逆算した、行動レベルの目標の方を意識することが大事です。それも超がつくほどの基本的なことです。
誰かにあったら挨拶をする、親切にしてもらったらお礼を言う、など保育園で教えてもらったことをおろそかにしてはいけません。
またこの考え方は、自分が人を評価する方法とも同じだと思います。
全く同じでなくとも、かなり近いと思っています。
もし行動した結果で失敗してしまったら、加点はされるのでしょうか。
ぼくは、加点されると思います。
結果だけを見るのではなく、失敗によって得られたものを冷静に分析することが重要です。
なぜ失敗したのか、失敗するとどうなるのか、失敗したときには自分はどう感じるのか、これからどう修正するのか、さまざまな学びがそこにはあります。
成功したときに以上に経験として残るものがたくさんあります。
また、マイナスは無いと説明しましたが、加点がされないパターンがあります。
それは、行動しないこと、です。なんにもせずただボーッとしているだけでは、残念ながら0点です。
こんな考え方ができるようになれれば、肩の力を抜いていきられるようになりますね。
では、また!
100点以上の生き方 その1
人生に点数をつけるのなら、どんな点数になりそうですか。100点?50点?80点?
どうやってその得点をつけましたか?
点数のつけ方は大きく分けると、減点式と加点式の2つがあると思います。
理想の人生からマイナスしていくのが、減点式です。理想を100点として、いかにして減点を少なくするのかがキモになってきます。どんな場面でもハイパフォーマンスを維持することが求められます。確かに厳しく働く場面では、自分を律するいい考え方かもしれません。しかし行動するほど減点のリスクが高まるので、大胆な行動力が伴ってこないという問題があります。行動してマイナスになるぐらいなら、行動しない方が賢明だ、という考え方もここから発していると思います。
この減点式に基づいて生活している人も多いのではないでしょうか。
もうひとつ、ゼロからプラスをしていく加点式があります。
僕はこちらをオススメします。
ゼロの基準として、生まれたばかりの自分がスタート点だと思ってください。周りに助けてもらわないと生きていけない状態をゼロとしましょう。そこから泣くことで+1点、誰かの注意を引けた+1点。こんな感じでどんどん点数が伸びていくんです。生まれてから今までずっーとプラスの人生なので、累計で100点を超えることは簡単ですよ!
配点はみなさん自身が決めたらいいと思いますが、どんな些細な行動でも必ずプラスの点になることを意識してみてください。これを心がけながら生活してみると面白いですよ!
朝起きられた +1点
挨拶できた +1点
ご飯を食べた +3点
などなど、何をしても加点していくのでいろいろチャレンジしてみたくなります。
この考え方はまだ続きがあるので、次のエントリに引き続き書いていきます!
では、また!
幸せってなんだっけ?
あなたはいま、幸せに生きていますか。
ぼくはいま幸せを感じているのか、感じていないのか。
よく分からないです。
もしかしたら幸せはないのかもしれません。
いまの社会、日本の中で生きている不幸せでにならないように制度が作られています。しかしその一方で、制度や周りの環境によって幸せになることはないと思います。
自分以外の他人や環境に期待しても、自分を幸せにしてもらうことは不可能です。
幸せになるのは、自分のチカラです。
環境さえ変われば、他人さえ変われば、なんて思っても幸せになれません。
幸せになるのは権利ではなく、義務ではないでしょうか。
心の健康管理や、心の栄養をあげられるのは自分しかません。
外の世界に誰にも、あなたの代わりをすることはできません。
外の世界に責任を求めることで、自分にとって負担になることが多くなると思います。
「だれも自分を評価してくれないから、自分は不幸だ」「他の場所ならたのしくなれるのに」
という状況から脱してみることが大切です。
幸せだから生きるのか、生きるから幸せなのか。
生きるために幸せになるのか、幸せになるために生きるのか。
まだまだ考えてみますね。みなさんも考えてみてコメントあれば教えてください。
では、また!