自殺ってなんで悪いの?
フッと意識を失い、苦しまずに、
遺体も消え、誰にも迷惑を掛けずに、
死ねるスイッチがあるとすれば。
あなたは押しますか?
人生に絶望したとき
生きることが嫌になったとき
押したくなるのでしょうか。
そのスイッチを押してもいいのかなと、ぼくは思っています。生きている明確な目的はまだまだ見えていません。いま生きていること、死んでいることの境目がよく分かりません。
死にたいわけではありませんが、なんで生きているのか不思議な感覚です。
----------------------------
これまで自殺がタブー視されてきました。
「自殺は悪いことである」という風潮とは、どこから来たのでしょうか。
どう生きるかの自由があるなら、どう死ぬかの自由もあるべき、ではないですか。
自殺は悪いことなんでしょうか?
1.家族や友人が悲しむから、死んではいけない
もしも自分の家族や友人が自殺した時を想像したとき、僕は絶望をすると思います。
なぜ自殺を止められなかったのか、自分も後追いをするべきか、などさまざまな思いを巡らせ苦しむことになります。
でも、死んでしまった張本人にとっては、関係のない話、ですよね。
自分の死後、周囲の人がどれほど悲しむのか張本人は分かりません。
また、家族や友人を悲しませないように彼らを納得させた上での、自殺ならどうでしょうか。何の問題もないのでしょうか。
2.人生はやり直せるから、まだ死ぬな
どんな失敗しても、自分が生きているのなら、またやり直せる。
「死にたいときには、生きることを選択したうえで、どう生きるか考えろ」という考え方があります。
でも、やり直してまでも人生を送りたいとも思っていない場合、そこまでして生きなくてはいけないのでしょうか。
生きることを強制しているのですか。だれが強制できるのでしょうか。
3.生きていれば楽しいことがある
確かに楽しいことはあるかもしれません。
けれど、楽しいことを求めて苦しい思いをするぐらいなら、なんで生きるのでしょう。
また「やりたいことをやらずに死ぬのはいかがなものか」という考え方。
この世に未練がない、希望がないと思う人たちは何を糧に生きるのでしょう。
4.宗教上、スピリチュアル上、自殺はよくない
来世で違う動物になってつらい目に遭う、死んでも魂が苦しみ続ける
など様々な見方があります。
ただ、これらは1つの考え方に過ぎず、確実にそうなる運命かどうかなんてわからないものです。だれも証言できていないのですから。
善悪の判断を神に託しているように感じられます。
5.これまでの先祖に失礼である
連綿と続いてきた命の歴史を、踏みにじるようなことは許されない。
という考え方ですが、これはどうでしょうか。
確かに先祖は、自分の命をなげうってまでも守ってきた子孫の命を、子孫自ら断ってしまうことに憤りを感じるかもしれません。
ただその考えを持つ先祖は、生きることを善、死を悪と、思っていたのではないでしょうか。
いくら先祖でも、自分の善悪を子孫に当てはめられるのですか。
6.世界には生きたくても、生きられない人がいる
「 他に苦しんでいる人がいるから、あなたも我慢して生きなさい」理論はおかしいと思いませんか。
自分が甘んじてイヤなことを我慢してたところで、他に苦しんでいる人は救われるわけではありません。心情としては確かに、自分の「わがままさ」を感じるところですが、外野から言われる筋合いはありません。だって、苦しさなんて比べようがないからです。
自殺志願者に忠告をするよりも、「生きたくても、生きられない人」を救うことが先決ではないでしょうか。
7.生き物として不自然だから
「他の動物は自殺をしない。生きることに懸命に向き合っている。人間だけが自分の命を絶つことのできる生き物。自殺は不自然である」という考え方。
ただ、人間以外の生き物も自殺はするようです。
アブラムシは個体数が増えると、天敵を呼び寄せ自分を食べさせます。一種の自殺です。
また寄生虫の命令で自殺するカマキリもいます。(これは寄生虫により殺されている、とも考えられます)
不自然だから、他の生き物は自殺しないから、とは自殺を咎める十分な理由ではありません。
これからの時代、他の生き物でも自殺する可能性もあります。
----------------------------
生きているって本当になんでしょうか。不思議で仕方ないです。
いま生きている人間は、生きることを善としている人たちでしょう。
もしも、自殺した人から話を聞けるのであれば
「自殺してよかった、楽になれた」
「自殺しなければよかった、後悔している」
などの意見を聞いてみたいです。
自殺した側からの話を聞いて、反対の視点から考えてみたいので。
さらに考えれば、
自殺した瞬間に、自分に関する記録と記憶がみんなからすべて消えてしまったら、自殺は悪いことなんでしょうか。
たった1人、自分だけが自殺に善悪を決められるのなら、自殺とはいったいなんですか。
なんで自殺をしてはいけないのか、ずっと分かりません。
あなたはどう考えますか?ご意見あればコメントよろしくお願いします。
----------------------------
ここからは僕の考える「自殺メカニズム」です。
生きたくて生きたくて、
どうしても生きたかった人たちが
自殺をするのではないでしょうか。
自殺の原因は、「生きたい」から、だと考えられませんか。
「こんなふうに生きてみたい」
「達成したい夢がある」
けども、上手に実現ができなかった。
「こんなはずじゃなかった」をキーワードにして、死へ望みを託すようになるのでは。
自殺する人、その人に非があるわけではありません。
つらい思いまでして、今まで一生懸命に生きてきたことが素晴らしいのです。
勇気がいるかもしれませんが、こんな考え方もあります。
「チカラを抜いて頑張らなくてもいいのでは」
「つらい気持ちでいっぱいなら、そこから逃げてしまえばいいのでは」
いままで持ってきた
「絶対に生きなければならない」
「思い描いた通りに生きるべきだ」
という思いはちょっと置いて、だらだら生きてしまいましょう。
ちょっとぐらい誰かに迷惑を掛けながら、
生きていくのが人間の生き方ではないでしょうか。
ちょっとだけ余裕が出来たときには、
誰からの迷惑を受け入れるようになれれば素敵ではありませんか。
次は「生きる理由って…?」をテーマに書いてみますね。
では、また!
(追記)
続きのエントリです。
↓
(この記事は、自殺を肯定・教唆しているわけではありません。疑問を提示して、問いかけているのみです。)