生きてる理由って…?
前回の「自殺ってなんで悪いの?」の続きです。
今回のテーマは「生きている理由」です。
みなさんも考えたことがあるでしょうか。
なんで生きているんだろう?
なんのために生まれてきたんだろう?
不思議な感覚ですよね。
どうしてあなたはいま生きているんでしょう。
どうして生きつづけようと思うのでしょう。
それぞれの人で生きる意味を見出しているかもしれませんね。
なぜ生きるのか。
僕は1つの仮説を持つようになりました。
生きる意味、それは、「ありがたい」気持ち・出来事に出会うためです。
ありがたいとは、存在が難しいことが存在している、この奇跡を喜べるかです。
ここに気付けるようになってから、フッと楽な気持ちでいられるようになりました。
嬉しい楽しいことに対しては、ありがたいという気持ちを持ちやすいです。
辛いことやイヤなことに対しても、「こんな状況になっていることもありがたいな」と無理に思ってみると、考え方が自然とポジティブに変わっていくようです。
どんな状況でもラッキーと思えることが、たくましい態度ではありませんか。
さて、どんなときにありがたいと感じられるのか、考えてみました。
この気持ちは、「存在に対する自分の認識」によって変わると思います。
下の図を見てください。
これは存在をどう認識するのか、という図です。
この3パターンの中で、1番ありがたいと感じられるシチュエーションはどれでしょうか。
きっと③ですよね。
サプライズプレゼントが準備されているとは全く思わない状況で、プレゼントをもらえること。これが1番嬉しく感じませんか。
なぜ、これが1番嬉しく感じるのでしょう?
そもそも、なぜ、ひとは「ありがたい」に出会えることで、喜びを感じられるのでしょうか。
それは生きていること、そのこと自体が「有り難い」ことだからです。
自分が誕生したこと、いまのこの時に自分が生きていること。
これってやはり奇跡なのではないでしょうか。
生きていることに、
自分が人生の始まりって覚えていますか?
気づいたらいつのまにか、自分として生きていた、という感覚ではないですか。
それが、上の図の③のパターンだと思います。
もし生まれる前に思考していたのなら…
「まさか自分が生まれるとは思わなかった。それ以前に、生まれることという概念さえなかった。なんなんだ生まれるって」
と思っていたのではないでしょうか。
それぐらい生まれることなんて、唐突で全く予知も出来ない現象なんです。
認識してこなかった世界へ、新たに自分が存在すること、これが奇跡なんです。
だからこそ、生まれてきた自分が感じられる喜びって、「ありがたい」の気持ち・出来事から発生しているのでは、と思います。
「自分がいま存在している」
このことがもっとも、難い(かたい)ことです。
起こり得ないいことが起きている、それが生きていることでは、と思います。
では、また!