殺人は悪いこと…?
以前に「自殺ってなんで悪いの?」のエントリを書きました。
そこから考えて、自分以外の人間を殺すことは悪いことなのか、を今回書いていきます。
どの国でも殺人は罪に問われる「悪い」ことと定義されています。
ではどうして殺人は悪いこととなのでしょうか。
1.自分が殺されたくないから?
2.法律的に禁止してるから?
3.なんとなく悪い気がするから?
など、いろいろ理由はあるでしょう。
その理由に対して考察してみます。
1.自分が殺されたくないから?
確かに、自分が殺されるのが嫌だから、殺人を悪いことと思いたいですね。
自分がされて嫌なことでも、それ自体が善の状況もあります。
例えば、人から怒られるとき。
人から怒られることは嫌なことですが、それは今後の自分の力を伸ばすために、注意をしてもらっているだけではないでしょうか。
結果的に怒られたことで、次からミスを防ぐこともできます。
自分がされて嫌なことでも、自分にとっての善になりうることもあるのです。
2.法律的に禁止してるから?
法律で禁止されているから、殺人は悪なのでしょうか。
法律や憲法などといったルールは、「してはいけない」と禁止をしているだけで、善悪の判断はおこなっていないのです。
戦争の時には、敵を殺すことを政府が善としています。時代や状況によって、善悪なんて変わってしまうのです。
3.なんとなく悪い気がするから?
なんとなく悪い気がするから、殺人はいけないことなのでしょうか。
ここを深く考える必要があります。なぜ、何となく悪い気がするのでしょう。
例えば、こういうシチュエーションを想定してみてください。
人がたくさんいる場所で、銃を乱射して大量殺人をしている犯人がいるとします。犯人は人を殺しながら、自分に近づいています。
しかし、あなたは銃を持っているので、犯人を打ち殺すことが出来ます。(銃を持っている理由はたまたま拾ったなど偶然によるものとします)
銃を持っているのは自分だけです。銃を撃たなければ自分が殺されます。
犯人を自分だけが殺せる状況では、犯人を殺すことは善でしょうか。
それとも犯人を撃たず自分が殺されることが善でしょうか。
あなたならどうしますか。
ここからはぼく個人の考えです。
まず最初のステップとして、罪もない人を殺すことが悪いかを考えます。
これは「悪い」ことです。
理由としては、生きることが善だと思っている自分が、相手の善である生きることを妨げているからです。
生を善とする自分と相手が対等に存在している、のにも関わらず、相手を殺すことは、自分の善だけを確保しながら、相手の善を一方的に奪っていることになるからです。
つぎのステップとして、大量殺人犯を殺すことは、善悪どちらでしょう。
これは「善」です。
理由は、相手の善を奪うことにはならないからです。犯人の善は「自分が生きていながらも人を殺すこと」となっていることです。
そして自分の善は「自分が生きていること」です。この善の差がある場合、どちらかが自分の善を譲歩・変革をしなければなりません。
そうでなければ、犯人によって自分の善が奪われます。この状況の結末としては、「自分が殺される」or「犯人を殺す」の2つしかありません。
「自分が殺される」パターンのとき、犯人によって一方的に自分の善が奪われています。犯人と自分は全く平等ではありません。ただ犯人の善だけが通っています。
「犯人を殺す」パターンのとき、自分の善を「自分が生きていながらも人を殺すこと」に変革させる必要があります。
これは一見おかしな善ですが、善悪は状況によって変わるものだと思います。さて、この変革された善で、ようやく自分の善と犯人の善が平等になりました。
これで一方的に善が奪われることが、お互いにない状況です。こうなって初めて犯人を殺すことが「善」となるのです。
極論かもしれませんが、ぼくはこう考えます。
他にもさまざまな考え方があると思います。ぼくももっと考えてみたいと思います。
ぜひみなさんも考えてみてください。
では、また!
(この記事は、殺人を肯定・教唆しているわけではありません。疑問と個人の見解を提示しているのみです)