リッケイのゆるい考え

なんちゃって哲学

ぼく以外みんなロボット説

小学生のころ「ぼく以外はみんなロボットなんじゃないか」と真剣に思っていました。

 

このロボット世界を神様が設定して、実験動物としてのぼくを観察しているんだと考えていました。

 

ココロを持って生きているのはぼくだけ、という妄想にふけっていました。

 

哲学用語では、独我論(ソリプシズム)と呼ぶそうです。

 

この問題には、昔から哲学者が挑んできましたが、まだ明確な答えは出ていないそうです。

 

他人のココロがもしかしたらプログラムによって動いているだけで、実はロボットなのかもしれません。

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人間関係に悩んでいるときにこの問題を思い出すと、フッと心が軽くなります。

 

「なーんだ、ロボットだらけの世界で悩んだってしょうがない。ココロを持っているのは自分だけなのだから、悩まず素直に生きたらいいんだ」

 

とぼくは感じます。

 

 

しかし本当にロボットなのは他人だけなのでしょうか。

自分のココロがほんとうに存在しているのか疑わしく思えてきます。

 

自分が考えることも実はプログラムされていて、自分もロボットの1人なのかもしれません。

 

入力に対して出力する。

例えば、物が飛んできたら避ける、質問されたら考えて答える。

 

このプロセスの中に、本当に自分のココロが存在するのでしょうか。自分の存在とは、なんなんだ。

 

ぼくが人間として生きている証明なんて、絶対にできないと思います。デカルトの「我思うゆえに我あり」さえも疑わしく思えてくるのです。

 

みなさんは、どう考えますか。

他人はロボットじゃない、自分はロボットじゃない、と言い切れますか?

 

この考えに新たな発見があったら、またブログにも書いてみようと思います!

 

では、また!