がんばる理由ってなんだっけ?
僕はいままで色んなことを “がんばってきた” と思います。
ただがんばらなくちゃいけないから、がんばってきました。
けど、もう十分にがんばってきたのでは?とも思います。
なんで、がんばるんだろう。
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みなさんは「がんばって」という言葉は好きですか?
僕は言われることはあまり好きではありませんでした。
「がんばって」の言葉の背景としては、
「あなたのがんばりを認めているし、これからもがんばれるあなたでいてほしい」
という思いがあり、勇気づけのポジティブな言葉だったといまは解釈しています。
けど、僕から人に「がんばって」なんて言えません。
それでも、相手のことを認めていることを伝えたいので、
「応援しているよ」という言葉を使って、相手を元気づけるよう心がけています。
がんばり続けている人に、外野からいえることなんて、この言葉がちょうどいいのではないでしょうか。
さて、なぜあなたはがんばるのですか。
あさ起きたときに、どんな気持ちで一日を迎えるのですか。
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僕は、なぜがんばるのかがハッキリと見えてしまいました。
「自分の優秀さを証明したい」
これが見えてしまったんです。
これにずっと囚われてきました。
この1点の思いだけでがんばってきました。
この背景としては、人から否定されることが強烈に記憶に残ってしまっているからだと思います。
人から否定されると、もう自分では自分のことを肯定できなくなります。
自己肯定することが難しくなってしまいます。
がんばることが多く、
「これからどんな状況になっても生きていける」
という自信を持てるようになりました。
けど、「いまの自分のままでいいんだ」なんてちっとも思えていません。
だから、自分の優秀さを証明したいのでしょうね。
けど、「優秀さ」「証明する」とはいったいどんなことなのか全然わかっていません。
これからずっと、この思いに縛られたままがんばり続けるなんて、僕は望んでいません。
もうがんばることなんて、こりごりです。
そのかわり、がんばらないで “楽しく” 生きてみたいな、と思っています。
自分が楽しいと思えること、これを毎日続けられる人生を歩んでみたいと思います。
みなさんも一度、なんでがんばるのかを考えてみてください。
きっとがんばるための思いを持っていると思います。
そして、自分がこれからどうやって人生を歩みたいのか、考えてみてください。
きっと見える世界が、また広がってくると思います。
では、また!
生きてる理由って…?
前回の「自殺ってなんで悪いの?」の続きです。
今回のテーマは「生きている理由」です。
みなさんも考えたことがあるでしょうか。
なんで生きているんだろう?
なんのために生まれてきたんだろう?
不思議な感覚ですよね。
どうしてあなたはいま生きているんでしょう。
どうして生きつづけようと思うのでしょう。
それぞれの人で生きる意味を見出しているかもしれませんね。
なぜ生きるのか。
僕は1つの仮説を持つようになりました。
生きる意味、それは、「ありがたい」気持ち・出来事に出会うためです。
ありがたいとは、存在が難しいことが存在している、この奇跡を喜べるかです。
ここに気付けるようになってから、フッと楽な気持ちでいられるようになりました。
嬉しい楽しいことに対しては、ありがたいという気持ちを持ちやすいです。
辛いことやイヤなことに対しても、「こんな状況になっていることもありがたいな」と無理に思ってみると、考え方が自然とポジティブに変わっていくようです。
どんな状況でもラッキーと思えることが、たくましい態度ではありませんか。
さて、どんなときにありがたいと感じられるのか、考えてみました。
この気持ちは、「存在に対する自分の認識」によって変わると思います。
下の図を見てください。
これは存在をどう認識するのか、という図です。
この3パターンの中で、1番ありがたいと感じられるシチュエーションはどれでしょうか。
きっと③ですよね。
サプライズプレゼントが準備されているとは全く思わない状況で、プレゼントをもらえること。これが1番嬉しく感じませんか。
なぜ、これが1番嬉しく感じるのでしょう?
そもそも、なぜ、ひとは「ありがたい」に出会えることで、喜びを感じられるのでしょうか。
それは生きていること、そのこと自体が「有り難い」ことだからです。
自分が誕生したこと、いまのこの時に自分が生きていること。
これってやはり奇跡なのではないでしょうか。
生きていることに、
自分が人生の始まりって覚えていますか?
気づいたらいつのまにか、自分として生きていた、という感覚ではないですか。
それが、上の図の③のパターンだと思います。
もし生まれる前に思考していたのなら…
「まさか自分が生まれるとは思わなかった。それ以前に、生まれることという概念さえなかった。なんなんだ生まれるって」
と思っていたのではないでしょうか。
それぐらい生まれることなんて、唐突で全く予知も出来ない現象なんです。
認識してこなかった世界へ、新たに自分が存在すること、これが奇跡なんです。
だからこそ、生まれてきた自分が感じられる喜びって、「ありがたい」の気持ち・出来事から発生しているのでは、と思います。
「自分がいま存在している」
このことがもっとも、難い(かたい)ことです。
起こり得ないいことが起きている、それが生きていることでは、と思います。
では、また!
自殺ってなんで悪いの?
フッと意識を失い、苦しまずに、
遺体も消え、誰にも迷惑を掛けずに、
死ねるスイッチがあるとすれば。
あなたは押しますか?
人生に絶望したとき
生きることが嫌になったとき
押したくなるのでしょうか。
そのスイッチを押してもいいのかなと、ぼくは思っています。生きている明確な目的はまだまだ見えていません。いま生きていること、死んでいることの境目がよく分かりません。
死にたいわけではありませんが、なんで生きているのか不思議な感覚です。
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これまで自殺がタブー視されてきました。
「自殺は悪いことである」という風潮とは、どこから来たのでしょうか。
どう生きるかの自由があるなら、どう死ぬかの自由もあるべき、ではないですか。
自殺は悪いことなんでしょうか?
1.家族や友人が悲しむから、死んではいけない
もしも自分の家族や友人が自殺した時を想像したとき、僕は絶望をすると思います。
なぜ自殺を止められなかったのか、自分も後追いをするべきか、などさまざまな思いを巡らせ苦しむことになります。
でも、死んでしまった張本人にとっては、関係のない話、ですよね。
自分の死後、周囲の人がどれほど悲しむのか張本人は分かりません。
また、家族や友人を悲しませないように彼らを納得させた上での、自殺ならどうでしょうか。何の問題もないのでしょうか。
2.人生はやり直せるから、まだ死ぬな
どんな失敗しても、自分が生きているのなら、またやり直せる。
「死にたいときには、生きることを選択したうえで、どう生きるか考えろ」という考え方があります。
でも、やり直してまでも人生を送りたいとも思っていない場合、そこまでして生きなくてはいけないのでしょうか。
生きることを強制しているのですか。だれが強制できるのでしょうか。
3.生きていれば楽しいことがある
確かに楽しいことはあるかもしれません。
けれど、楽しいことを求めて苦しい思いをするぐらいなら、なんで生きるのでしょう。
また「やりたいことをやらずに死ぬのはいかがなものか」という考え方。
この世に未練がない、希望がないと思う人たちは何を糧に生きるのでしょう。
4.宗教上、スピリチュアル上、自殺はよくない
来世で違う動物になってつらい目に遭う、死んでも魂が苦しみ続ける
など様々な見方があります。
ただ、これらは1つの考え方に過ぎず、確実にそうなる運命かどうかなんてわからないものです。だれも証言できていないのですから。
善悪の判断を神に託しているように感じられます。
5.これまでの先祖に失礼である
連綿と続いてきた命の歴史を、踏みにじるようなことは許されない。
という考え方ですが、これはどうでしょうか。
確かに先祖は、自分の命をなげうってまでも守ってきた子孫の命を、子孫自ら断ってしまうことに憤りを感じるかもしれません。
ただその考えを持つ先祖は、生きることを善、死を悪と、思っていたのではないでしょうか。
いくら先祖でも、自分の善悪を子孫に当てはめられるのですか。
6.世界には生きたくても、生きられない人がいる
「 他に苦しんでいる人がいるから、あなたも我慢して生きなさい」理論はおかしいと思いませんか。
自分が甘んじてイヤなことを我慢してたところで、他に苦しんでいる人は救われるわけではありません。心情としては確かに、自分の「わがままさ」を感じるところですが、外野から言われる筋合いはありません。だって、苦しさなんて比べようがないからです。
自殺志願者に忠告をするよりも、「生きたくても、生きられない人」を救うことが先決ではないでしょうか。
7.生き物として不自然だから
「他の動物は自殺をしない。生きることに懸命に向き合っている。人間だけが自分の命を絶つことのできる生き物。自殺は不自然である」という考え方。
ただ、人間以外の生き物も自殺はするようです。
アブラムシは個体数が増えると、天敵を呼び寄せ自分を食べさせます。一種の自殺です。
また寄生虫の命令で自殺するカマキリもいます。(これは寄生虫により殺されている、とも考えられます)
不自然だから、他の生き物は自殺しないから、とは自殺を咎める十分な理由ではありません。
これからの時代、他の生き物でも自殺する可能性もあります。
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生きているって本当になんでしょうか。不思議で仕方ないです。
いま生きている人間は、生きることを善としている人たちでしょう。
もしも、自殺した人から話を聞けるのであれば
「自殺してよかった、楽になれた」
「自殺しなければよかった、後悔している」
などの意見を聞いてみたいです。
自殺した側からの話を聞いて、反対の視点から考えてみたいので。
さらに考えれば、
自殺した瞬間に、自分に関する記録と記憶がみんなからすべて消えてしまったら、自殺は悪いことなんでしょうか。
たった1人、自分だけが自殺に善悪を決められるのなら、自殺とはいったいなんですか。
なんで自殺をしてはいけないのか、ずっと分かりません。
あなたはどう考えますか?ご意見あればコメントよろしくお願いします。
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ここからは僕の考える「自殺メカニズム」です。
生きたくて生きたくて、
どうしても生きたかった人たちが
自殺をするのではないでしょうか。
自殺の原因は、「生きたい」から、だと考えられませんか。
「こんなふうに生きてみたい」
「達成したい夢がある」
けども、上手に実現ができなかった。
「こんなはずじゃなかった」をキーワードにして、死へ望みを託すようになるのでは。
自殺する人、その人に非があるわけではありません。
つらい思いまでして、今まで一生懸命に生きてきたことが素晴らしいのです。
勇気がいるかもしれませんが、こんな考え方もあります。
「チカラを抜いて頑張らなくてもいいのでは」
「つらい気持ちでいっぱいなら、そこから逃げてしまえばいいのでは」
いままで持ってきた
「絶対に生きなければならない」
「思い描いた通りに生きるべきだ」
という思いはちょっと置いて、だらだら生きてしまいましょう。
ちょっとぐらい誰かに迷惑を掛けながら、
生きていくのが人間の生き方ではないでしょうか。
ちょっとだけ余裕が出来たときには、
誰からの迷惑を受け入れるようになれれば素敵ではありませんか。
次は「生きる理由って…?」をテーマに書いてみますね。
では、また!
(追記)
続きのエントリです。
↓
(この記事は、自殺を肯定・教唆しているわけではありません。疑問を提示して、問いかけているのみです。)
大学の意味って…なに?
僕は現在、大学院の2年生です。学部時代から合わせると、大学生活6年目になります。
大学では人生最後のモラトリアム期間なので、好きなように過ごしてきました。講義、バイト、学生団体、インターン、旅行、など色んなことを経験してきました。大変だったこと、失敗したことを含めて、いっぱい学びがありました。
これから大学に入ろうと思っている人たちや、いま大学生・大学院生の人に伝えたいことがあるので、書いていきます。
1.講義の受け方
大学の授業はなんとなく退屈で、自分のためになるなんて思えないでしょう。講義で学んだ知識は、社会に出てしまえば、ほとんど使えないものだと思います。入社してからの研修を受けてから、得る知識の方が実用的で使える知識でしょう。
単位を取るため、進級するため、に講義に出席する人がほとんどです。興味のあるオモシロイ講義ってめったにありません。ぼくは70以上の講義を受けましたが、オモシロイ講義は2つだけでした。
さあ、ツマラナイ講義を受けなきゃいけないとき、どう過ごしましょうか。
色んな過ごし方があります。睡眠、スマホでゲーム、SNSチェック、ぼーっとする、マンガを読む、たまにノートを取る(or黒板の写真を撮る)、というように過ごす人が多いようです。
高校時代は、受験勉強にたくさんの時間を費やしてきたのに、これではあまりにももったいないと思いませんか。もっと有意義に講義の時間を利用できたら素晴らしいと思います。
講義に出る目的を決めてしまえばいいのです。「単位取得のため」「興味ある分野を学びたい」などです。そして、その目的のために効率良く講義時間を使ったらいいのです。
オススメは、講義中にレポートや課題を終わらせてしまうことです。他にも、興味のある本を読む、課題活動のタスクを片づけておく、ことも挙げられます。ノートは必要なところだけとって、聞き逃したところは友達に聞ければ十分なんです。レポートやテスト前に集中的に勉強すれば、単位はなんとかなるものです。
目ざとく見つけて注意する教授の講義であれば、自分の頭で考えておくべきことを考えてノートの隅に少しメモを取るだけでも、十分に時間の使い方として有意義だと思います。ただ漫然と受け身で時間を使ってしまうことが、1番もったいないと思います。
時間以外にお金であれば、大学の授業料は以下のようになっています。大学の卒業証書を手にするために、これだけのお金が必要になるのです。
国公立の場合
年間授業料53万円×4年間
取得最低単位数124単位
1つの講義に15週参加して、2単位が取れるので
1コマ(90分)あたりの授業料は
530,00×4÷(124×15÷2)=2,280円
私立の場合は授業料が74~104万円なので、
1コマあたりの授業料は
3,182~4,473円
いかがでしょう。
どう思うかそれぞれですが、ほんのわずかな価値しかない講義にここまでお金をかけるなんてバカげていると僕は思います。しかし、これだけのお金を払い、単位さえ取れれば、4年間好きなことをして過ごすことができるとも考えられると思いませんか?
そこで、僕は講義以外の場で学べる環境へ身を移しました。
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2.課外活動
大学のイメージはこちらでしょうね。部活、サークル、バイト…キャンパスライフを謳歌するためのコミュニティはいっぱいあります。何に入るかは、自分の好みでいいと思います。
選ぶ基準としてオススメは、その組織に社会人が所属しているかどうかです。特に、組織の意思決定権に関わるポジションに社会人がいると、活動は面白くなります。シビアな面を見せてくれるからです。
ぼく自身、学生団体、議員インターンシップ、海外での研究インターンシップなど経験してきました。どれも偶然の出会いでしたが、どこの組織でも社会人が決定権を持ちながらも、学生に権限を託して活動させてくれました。
高校時代までの「自分たち学生の世界」から「社会の一端が見える世界」にまで広がり、考える質が高まり、行動の幅も大きくなっていきました。これまでとは全く違う世界がありました。
座学だけでは学べないことや大事な人たちと出会えることが、なによりも貴重で楽しいものでした。
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これから大学へ入る人たちや、いま大学在学の人たちにも、
「大学でやりたいことは何だろう?」「なにかやってみようかな」
をテーマに、自分のアタマで考えてみてほしいと思います。人と同じ考え方をする必要はなくて、自分の欲に純粋になってもいいと思います。
やってみたいことに挑戦するのは、楽しいはずですから。
では、また!
はじめましてリッケイです
どうもはじめまして!
リッケイと申します。
これからかる~くブログを始めていきます。
内容は
「生きるってどんなことだろう?」
をメインにいろいろ書いていきますね。
僕はいま24歳で、大学院生の2年生をしています。
就職活動をほとんど終えて、時間がいっぱいできました。
今までの大学生活では、学生団体やインターンとか楽しく過ごしてきました。
そこで気付けたこと考えたことを、この場で発信できたいいなと思っています。
このブログの目的としては、17歳の自分へ伝えたいこと、と考えています。
誰かのお役に立てれば、とっても嬉しいですね。
では、これからよろしくです~!